昭和五十六年七月二日 朝の御理解


御理解第五十九節
習うたことを忘れて、もどしても、師匠がどれだけ得をしたという事はない。覚えておって出世をし、あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば、それで師匠も喜ぶ。おかげを落としては、神は喜ばぬ。おかげを受けてくれれば、神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ。


 昨日、神様にお願いをし、御神意を頂いて高校に行くのをやめて中学から大工の弟子に行った人が三年になりましょうか。所がなかなか仕事を覚えることが出けん。人の半分しか出けん。それで本人も親たちもこりゃ、道を間違えておったのじゃなかろうか。今のうちにやめて何か他の道を選んだ方が善いのじゃなかろうかと云うお届けがございましたが、私は何か自分のみにつまされる思いがした。 私は胸が詰まって返事が出けないくらいでした。いわゆる鈍な人です。私もやっぱそうなんです。だから、私は申しました。人が五年かかるところは十年かけれて、もうここが云うに云われませんでした。こりゃなんの稽古でもそうですけれども、その人それぞれの性格がありましてね。信心でも非常にこう一を聞いて十を覚えるといったような、才能と云うでしょうか、天才的な信心をする人がありますよ。
 それこそ日参、夜参しておる人がおかしいくらいにある。そしてやっぱおかげ頂くんですよ。というても本当にもうそれこそ、しろくどいように、神様にお縋りして一生懸命信心さして頂いとるけれども、おかげ頂かれん。して分からん、まあだこげん所があんたいつまっでん分からんのと云うくらいにわからん。
 けれども私自身のそうでしたら、結局いわゆる人が五年かかる所は十年かけてもと云った時にゃ、もうその人の信心と云うか、仕事というものは、もっと素晴らしいものになっているんです。これは稽古事はなんでもすぐ覚える人はすぐ忘れるという、やはりそれがあるんですよね。もう本当に人が一日で覚えるものを二日間かかって覚える、覚える人は決して忘れないですね。こりゃ不思議です。早くいや、体得の出来る人は早く忘れてやっぱしそれだけ粗雑なんです。
 本当の事はやはり出けんのが人が五年かかるところは十年かけてでも辛抱、そこをしぬく所が大事ですけれども、私は昨日申しました人が五年かかるところは十年かけて、そして立派な棟梁としておかげを頂いた時に、私は一番喜ぶのは、師匠じゃなかろうかと思う。こりゃつまらんと思うておったが、よう辛抱した。お師匠さん本当にまあ、鈍なだから人が五年かかる所は十年もかかってご迷惑かかえましたけれども、おかげでこういう立派な家も建てられるようになりましたというたら、本当に師匠が喜ぶだろう。
 神も喜び氏子も喜び、金光大神も教えられた金光大神も喜んで下さる。そこでやはりです、人が五年かけるものは私は十年といったようなものがいるんです。椛目時代に信心はね、例えば修行を一ヶ月間なら一ヶ月間の修行をさせて頂いてね、どこに疎漏な所があっとるか分からんから念を入れる為にでも、また一日二日はおまけをする。ね。まけときまっしょちいうごたる信心がよいと云うことを頂いたことがある。
 それは十斤もものは十斤ですから、それで当たり前ですけれども、それにちょこっとあの木卓がちょこっとばっかりうえに上がるくらい、ほんの僅かなことですけれども、まけときまっしょち云うたらそれをなら買う者も、あすこはなかなか量りがええと云うてから、喜ぶでしょうが、僅かなこと。ね。
 私は酒屋でしかから、こりゃまあ、私は必ずでしたけど、コップ酒を皆飲みに来るんです。いっぱいついでやるともう好きな人は手をすけてから、こうやってそしてちょこっと飲むですね。必ず。そのいっぱいですから、そこん所へまた、私がかててやる。もうほんのちょこっとです。初めからがぶっと飲む者は雄らんです。もういっぱいついでますからね、ちょこっとばっかり飲むわけです。ですからちょこっとばっかりの所をもう一辺さしてやると大変喜ぶ。だからあの番頭さんがおるときに、ちいうごたる、そのまあ云うならば評判でした。
 その”まけときまっしょ”が信心も。私は三時に起床してここに三時半に出て、大体はここは四時の御祈念ですから、そう云うことはいりませんけれども、私は最近、三時十五分前に起きる事にしております。だからベルが鳴ってるのは三時、だから十五分前に起きることにしますと非常にゆっくりと又、宅のあちらの神様にもゆっくり御祈念が出ける。ね。いわゆるまけときまっしょの精神である。信心の云うならば、本当に稽古なんです。
 だから昨日の月次祭でも申しましたようにね、問題は稽古と云うことの内容がでけなければ、まけときまっしょはでけんですね。おかげさえ頂きゃよかね。お参りするちいうたら、日参したら、それでおしまいだ。けれども信心の稽古ということになると、それこそ人が一覚える時には二覚えたいと思うならば、人が言うならば、百の徳を受けるときにはこちらはね、二百もの徳を受けたいと思うんらばです。そこんところの精進が必要じゃないでしょうか。
 云うなら私共、酒の酒屋の番頭に行って酒屋になるつもりですから、非常に酒の調合の詳しい人の家に非常に厳しい家でしたが、七年間勤めましたがもう皆が寝てしまってからでした、酒の研究を私はするのは。だからやはり人の知らないようなことも覚えさせてもらいました。こりゃ、まあ別ですけれども、信心に置いてはもういよいよそれが必要です。まけときまっしょの精神です。
 そこからおかげを頂いて師匠さんおかげでこうこうというたら、師匠も喜んでくれる。いわゆる神も喜び金光大神も喜び、氏子もの喜びじゃと仰せられる稽古の構えがでけたら、よその人が言うならば、一時間稽古するならば、一時間十分稽古するという気になる。人が大祓、こりゃ昔ですね、大祓十巻のお供えをするちいうならば十一巻あげる。一巻はまけときまっしょというたような信心がおかげを頂くように思います。                     どうぞ